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東京駅(丸の内駅舎)&山手線高架橋(新橋~有楽町間)  

 日本の鉄道起点駅

 南北にドームを頂く赤レンガ3階建ての威風堂々としたデザインの東京駅丸の内駅舎は,わが国鉄道の大動脈東海道本線の起点が新橋駅から東京駅に移された1914年12月20日に開業した(新橋駅を汐留駅,鳥森駅を新橋駅に改称,呉服橋駅を廃止)。
         ゼロキロポスト

 国鉄100年を記念して立てられたブロンズ製のキロポスト。東京駅を代表するメモリアル的0キロポスト,4・5番線(山手線)間 に立つ。

 このほか東京駅には以下の0キロポストがある。
① 3番線脇(東海道本線と東北本線という2大幹線の実質的起点)
② 6・7番線間
③ 15・16番線間(東海道新幹線の起点)
④ 20・21番線ホーム上(東北新幹線起点)
⑤ 地下1番線壁面(総武快速線と横須賀線起点)

 以後,1923年の関東大震災では被害にあわなかったが,1945年東京大空襲により炎上,1947年3階部分を撤去してドームは角屋根として修復され現在に到っている。
 周囲が高層ビル化されていく趨勢のなかで本駅舎もいわゆる”駅ビル”化される運命にあると思っていたが,幸いにして創建当時のドームの姿に戻ることとなった。
 2011年の完成を目指して準備工事が既に始まっている,東京ステーションホテルやレストランは現在閉鎖されている。修復工事を前にして,内部の見学会が3月末にあったのを見逃してしまった,残念! 
 赤レンガに美しいドームが蘇る日を期待して待つこととする。

 ところで,建築物を建てる場合,通常は建築基準法で定められた容積率でその土地に建てられる建物の大きさ(延べ床面積)が決まるのだが,東京駅周辺は,特例容積率適用区域制度(規制緩和の一種?)の対象区域となっていて隣接する低層の建物の空中権を利用することで,容積率を超える建物の建築が可能になるそうだ。この制度を利用した日本初の建物が,中央郵便局の南側にある東京ビル,東京駅丸の内駅舎の空中権を三菱地所が買って使用したと云う。同じく新丸ビルや八重洲口のツインタワーも東京駅の空中権を使用して建てられた。 世の中には頭の賢い奴がいるもんだ,CO2排出権の売り買いみたいでなんだか釈然としない。

       
      丸の内駅舎(中央口から北口方向)

 
 中央停車場として建てられた東京駅の赤レンガ駅舎。設計を担当したのは,建築家辰野金吾(たつのきんご・1854-1919)。赤レンガに白い石を帯状に配したデザインは,英国に留学していた頃に彼の地で流行っていたものという。
       
          北口八角屋根内部


 さすが,機能一辺倒の駅ビル内部とは風格が違う。改修工事のため,ステーションギャラリーもしばらく休止となっている。
 

参考ウェブサイト :  赤レンガの駅舎にドームよ蘇れ!東京駅(創建当時の写真,修復後の姿が見られる)


 東京の基幹交通網”山手線”を支える赤レンガの高架橋   

 当時上野駅止まりだった日本鉄道東北本線と,新橋駅起点の官設鉄道東海道本線とを連絡するために建設されたのが山手線のはじまり。この間を結ぶ最短ルート上野駅~新橋駅間は,既に住宅密集地域となっていて用地の確保等に問題があり,建設が断念され遠回りになるが山手経由(現在の目白~新宿~渋谷~品川)で建設されることになった。
 山手線の建設経過を一覧すると

1883.07.28 上野~(大宮)~熊谷開業
1885.03.01 赤羽~品川開業
1903.04.01 池袋~田端開業
1909.12.16 品川~鳥森開業
1910.06.25 鳥森~有楽町開業
1910.09.15 有楽町~呉服橋開業
1914.12.20 東京駅開業
1925.11.01 神田~上野開業 山手線環状運転開始

 当時,既に住宅密集地域だったため新橋~上野間は,当然のことながら高架構造で建設されている,しかも当時流行った赤レンガで。
 ほぼ100年近く経った今も,これら赤レンガ構造物が現役として立派に首都の機関交通路線を支えていることは驚きである。
 旧新橋駅遺構を見学した後,新橋駅近くの山手線沿いを歩いてみた。普段は気がつかなかったけれど,この赤レンガ扶壁は実に芸術的に造られている。レンガの並べ方に変化をつけたり,飾りを入れたり,アーチに白い石を配したり,当時の設計者の意気込みが伝わってくるようで,なかなか見ごたえがある。